近況。

さて、書かなきゃいけないのは
食のことですね。


不安ばかりで、はたして自分の選んだ立場が正しいのかわかりませんが
でも、正しいと思い、選択したわけです。

産地はきっちり見て、危なくないかなぁってものを買ってますってことです。


父親が、放射性物質についてかなり敏感になってまして、母親はもう防ぎきれないから内部被爆の軽減と、発ガンしないようにっていう方向。

「売っているものは安全である」とは思っていませんということです。


ただし、買っているものが安全であるとも思っていません。
今の世の中、安全なものって少ないんですね。

安全なものを食べたいと思っても、自宅菜園すら危険な時代がやってきたのです。

エネルギーの節約のために地産地消とおもっていたって、遠く西の方の食材を手にとる現実。


ある意味ですけど、ぶれない、っていうことに関しては
無頓着であった人の方がぶれてない気がする。
あるものを食べる。
買えるものを買う。
それがいいかどうかしんないけど、振り回されなくてストレスフリーですね。


ストレスが一番よくないみたいです。
なので、「放射能放射能」言っててストレス溜め込むのが一番だめだな。
適度に、手に入らないときは、このあたりの野菜を食べてますし
外食も普通にする。
でも、自分ちの食卓では気にする。
今のところ、これが私の一番ストレスのない状態です。


そして、私のように、買い物の産地をみちゃう人たちが、「被災地の復興」を邪魔したいわけでもないし、非協力的でいたいわけでもない。
結果、例えば、野菜を買わないことが「足を引っ張る行為」になっているのであっても
わたしの健康についてとやかく言われたくはない。

気にしてなくても、がんに成りづらい人はならないし、気にしててもなる人はなる。
であるならば、私のとっている行動は無駄かもしれないけど。
これから子供を産む可能性があるので、
健康な子供を産むために。
できうる限りの危険は減らしたい。

父親だって今更がんになるのが怖いのではない
抗議の意味をこめて、食べないのだ。買わないのだ。
そういうことなのだ。