うふふのお花のお稽古。
今月がおわると、一年お稽古に通ったことになります。
一年なんてあっというまだし
何を学んで、何をみにつけたかなんて実感ないんだけど。
日曜のバイト先のお客さんに草月の先輩がいて、習い始めたといったら
「どんなのやってんのよ」
っていうから見せたら、「あら、いいじゃない」って(うれしー)
「どうせ、先生が手直ししてんでしょ!?」
・・・・・・・、否定できず(笑
基本形もだいぶ先に進んできたんではないかと自分ではおもっています。
投入なんかはまだまだ留めるのにてこずりますが、嫌わないようにってのが私の稽古のポイント
数をこなしていけばなれるはず。
最近、一番楽しいのはお花の稽古なのも間違いないのです。
それは、このままお芝居をやめても、生きがいとなるほどなのかはまだ分かりません。
そもそも、お花を習いたいと思ったきっかけは、もっともっと汚く醜い心だったのも覚えています。
でも、今、その時の気持ちは微塵もなく
小さいころから、野に咲くお花の名前や、街路樹のお花たちを愛でながら散歩していた記憶や
祖母や、母がお花を好きだということに影響されている背景も。
祖母が育てたお花たち、お庭にいっぱい咲いたお花を摘んで棺に一緒に入れた記憶も・・・
私も舞台でいただくのは、花束が一番嬉しくて、千秋楽だろうが荷物が多かろうが、お花は何がなんでも捨てない。
持って帰って、母が喜ぶのも嬉しい。
つまり。
私が抱いた、本当は良くない醜い気持ちや、つまらない対抗意識なんてものは、お花の前ではちっぽけで
今じゃきれいさっぱりどっかにいってしまったのです。
そして、私は自分が思ってた以上にお花が好きでした、ということなのです。
前述のお客さんに
「あなたいったい何をしたいの?」といわれた。
その言葉がけっこう刺さってる。
表現したいことがある。
芝居をしている、台本をかいている。美術もやっている。演出も。
はた、と気がついたんです。
媒体を探しているんだった。
わたしの「おえっ」て吐き出したいものたちを、表現するための媒体。
そろそろ、みつかるのかもしれない。
二ねん後企画
ラングエージフリーを目指して。
それはきっと、言葉なんてらない世界。