復活の強さ。

さて、少し
きちんと書き残す。
失うもの、こと。
私に身に起きた、一連のよわっちい、そしてあまちゃんな出来事は、簡単にいうと、喪失感。

生活の変化に対応しきれなかったという、親のもとでぬくぬくそだった私は、どんなに否定しようとも、お嬢様と旦那に言われてきっちりと親にそれを肯定された。

生活の変化に対応しきれなかったのではなく、親の庇護がなくなったという喪失の方が大きかったんだと思う。

その後、職場にて、自分の立場がよくわからなくなったことへのストレス、立場の喪失。足場が見えていないと、ふらふらとしてしまう。
いつもはその足場がふらふらしても立ち回れるだけの度胸とか、無鉄砲さがあった。
でも、守ってくれる親をなくして、私は初めて、保身的な気持ちになったその時、大事にしなきゃならない家庭にて、変化を求められ、不器用なわたしは両方をいっぺんに変化することができずに

くずれていった。

追い打ちをかけるように、劇団の解散。
解散、なんていうと、まぁ体裁いいんだけど。
どっちかっていうと、崩壊。
ぽろぽろと、手のひらからこぼれ落ちるように、なくなっていった。
私が悪い。
全面的に私が悪いんだけど、私が悪いということを前提に崩壊は起きて、今はそれを受け入れた。

私の心の崩壊は、この劇団崩壊につながった夏の出来事で、もう周りすべてを信じることができず、私のせいで大事にしていたものをすべてなくしてしまったことを、くやんだり、かなしんだり、それでも自己肯定したり
不安定でたち直そうと試みたり、そうこうしているうちに、妊娠。

報われなかった、一年間が、一気に報われた気持ちになった。


幸せな一年の始まり。
そう信じようとしたのに、あっけなく流産。

流産自体は、大丈夫。
や、大丈夫ではないんだけど。
一般的によくあること、と、して大丈夫。
でも、その後に、旦那が優しくしてくれなかった。
私の旦那は、基本がかなり優しい。過保護気味だとも思う。
だから、普通の優しさになれてしまっていたので、流産してもっと優しくしてもらえると思ってしまったんだと思う。
そう思ってしまったのは、私の甘えなんだけど、きっかけ、ソレだった。


失ったものを取り戻したかった。
いや、違う。
誰かに、取り戻して来てほしかった。
自分はがんばったし、努力したし、悪いことしてないから、誰かがきっと善人である私に理不尽なのは周りであると、しっかり手を差し伸べてくれる。
私は、泣きべそをかきながら、その手に助けを求めていればいいんだ。って。


結果。
私は癇癪をおこし、家庭内暴力心療内科コース。
旦那は、あきれ果て、受け止めきれずにダウン。胃痛と腰痛の日々。
母親は、心労で寝込んだ。



優しくしてもらいたかった。
優しく優しく。
でも一番、自分に優しくなかったのは自分だった。
寝てればよかった。痛みに耐えず薬を飲んで、親元で丸くなって寝てれば良かった。
それなのに、動きまわった、仕事にも戻った。
流産なんてみんなしてるんだから、落ち込んではだめだって思い込んでた。
優しくしてもらえたから、人にあったら、みんな優しくて、優しい言葉に触れる度にうれしくて、立ち直れると思った。



6時間くらいに及ぶ家族会議のすえに
私はこれから、抱えていたたくさんのものを捨てながら、生きていくしかないと、漠然と理解した。
旦那は、わたしのことを今でも、馬鹿にして、私が無理をするたびに迷惑を被っているようだけど。
私と旦那の価値観はあわないままだけど。
これからの世界に、二人で、別の方法で、立ち向かっていくんだなと思う。
やり方は違うし、性格も違うし、見ているものも違うんだろうけど、そして私のことを理解なんてしてくれないんだろうけど。

私と、これからの私たちの幸せくらいは同じように願っていると思う。


私に見えている光明は、今はその一筋。