最近、心にたまるいろんなこと

落ち着かない。

一言でいったらそんなこと


なにも決まらない
それに加えて、決まっていくたくさんのこと
それぞれの友達のそれぞれの活動。


いま、何をしているかなんて、ほんの些細なことなんだけど。

それを知っているか、いないかで友情をはかりそうな浅はかな私がいるんだ。



さいころからの友達にはそんな感情片鱗も浮かばないのに


今、私をとりまくたくさんの人たちが、何を考え、何をしたくて、何を目指しているのか・・・・・



それが
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる
わたしの感情をかき混ぜていく


ひとつ
どうしようもないことを、言うよ。



3月のあの大きな地震がなかったら


私の今はもっと安定していた。


そりゃさ。直接の被害なんてないに等しい場所に住んでいたけれど

親戚の一人だって亡くなってはいないけど


いろんなことを狂わされたよ。今も続いている。


普通の暮らしをしていることに罪悪感を
食事を気にすることに背徳感を抱く。


みたくない現実を目の前に突きつけらけることから必死で逃げてる感じ。



そして、今、こう思っていることを、軽々しく口にはできないようになったんだってこと。
何を信じて、頼れば良いのかわかんないってこと。

うちは親戚に農家もある。
そして、そこのお米をたべる。それこそ毎日食べる。
畑で作った野菜を食べる。それこそ毎日たべる。
なのに、買い物をするときに、放射能の危なそうな地域の野菜をさけたりね。魚もそう。
風評被害?自己防衛?
あのね。
野菜や魚や動物たちに、非はないんだよね。
悪いのは人間なんだよね。


あぁもう何を書いているのか分からなくなってきた。


原発に反対。



今まで、とくに賛成していたわけでも、反対してきたわけでもないけど。
その恩恵のもと生活してたんだろっていわれたら、そうなんだろうけど。
今まで、なんとなく、安全だからあるんでしょ?って
本当に危ないんだったら使わないよね
なにかあったら、どうにかしてくれるんでしょ
そんな風に簡単に思っていたし、いまでもそう思っている人はたくさんいるんだと思う。
でも、現実
何が起こっているのか、いまだに不鮮明で
誰か偉い人が。
もう大丈夫って、魔法でもなんでもつかって全部解決してくれたらどんなにいいだろうかってそんなことを考えてしまう。


何年たったら、もとにもどるんだろうね?

ニュージーランド地震、日本の地震、トルコ地震、タイ洪水、あちこちでお金の問題。

もうどうしようもないくらい息苦しくって
そんなときに、近所の林がまたひとつなくなったんだ。
すっかり、きれいさっぱり
更地になった。

土の匂いがした。
いいにおいだった。


単身者用のアパートが建つんだって。


結婚しない人が増えて、高齢者が増えて
災害も増えて
そして、自然をどんどん失って

津波で家を失った人たちの新しい家を近くに建てるなら、山をなくしてそこに家を建てるしかないって
山がなくなるんだよ。
人が住むために。


住むところを失っていない私が何かをいう権利はないけれど。

人がたくさんなくなった後に、山までなくなってしまうんだなと、悲しくなったのです。
その後この話はどうなったのでしょう。


被災地に残された動物たちの写真集を見て
悲しくて切なくて、ページをめくれなかった。


たくさんの悲しいが続くから
普通の私が
何かをしたいと思っても
うまいこと体が動かないことに
現実逃避をしてしまっている状況に
そろそろ、向き直り
きちんと行動を起こさないと
最初から動いて、手を差し伸べている人たちが疲れてしまう前に、後続の旗を掲げねばならない。